【実況的な語り】鬼滅の刃的な授業になっていないだろうか?

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いきなり何のことやらですが、ラジオでこれを聞きました。

漫画や動画のセリフに特徴的な音とは何かーー「実況的な語り」と音の関係|Screenless Media Lab.
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鬼滅の刃の登場人物の炭治郎は自分語りをしながら進行しています。

心の声を語らないと状況説明ができないからでしょうね。

さて、先日の授業でゲスト講師をお招きしました。

そのときに、自閉症のある方の保護者が、肢体不自由のある子どもの教師はどうしても過剰な関わりをしてしまいがちですが、それがいやな人もいる。その方の場合もそうで、場合によってはパニックになったりする。

ということをお聞きしました。

障害が重かったり、自分でできることが少ないと、どうしても先生方が

がんばる

授業をお見かけします。

授業は盛り上がっているようだけど、これって過剰な盛り上げなんじゃないのと思うことがある。

その場は楽しいかもしれないけど、子どもたちはそれで何を学んでいたのだろうと疑問を感じる場面がある。

上記の「実況的な語り」を先生方がしているような場面を見ます。

これは、自分の教員時代の反省でもあります。

主役は子どもたちのはず。

でも、子どもが動かないので、先生が何かしないといられない。

青木さん流にいうと

ギター先生

そんな感じがある。

もちろん、指導の難しさはあるんだけど、

活動ありき

としないための工夫が大切になります。

ラジオを聞きながらそんなことを思い出しました。

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