先日開かれたEDIXでの鈴木先生の公開授業の様子がYouTubeに上がっていました。
子どもたちの様子がよく分かり、とても参考になります。
そして、その公開授業の解説はすでにこちらで掲載されているのですが
この中の中川先生が
生成AIの授業等活用への段階として
試行 → 活用 → 普及
というのを示してくださっています。
多くの学校はきっとこの「試行」の前の段階で踏みとどまっているのだろうと思います。
それは、どんな事が起こるのか分からず怖がっている
または
こんなものはまだやらなくてもいい
と思っているのかもしれません。
しかし、対談を見て思うのは、日常使いする中で子どもたちが情報活用能力としてAIを使えるようになっていくことなのではと思いました。
しかし、いまは制限がかかっているため、小学生だと使えるAIに限定されていること。
ここの部分は、対談の中に
パソコンの時代 → インターネットの時代 → AIの時代
の段階でそれぞれが導入することに対する大きな抵抗があったためと語られてます。
私も、肢体不自由の子どもにパソコンを使うという事を始めたときに大きな抵抗がありましたので、よく分かります。
何年も経つと、なんであんなに抵抗したんだろうとなるのかもしれません。
鈴木先生は授業の中でいろいろと使っていて、AIのスゴイ面とダメな面両方を子どもたちが見ているとおっしゃっています。
そう、そういうことをすべて見るぐらいに使っていかないと分からないのでしょう。
さて、特別支援教育ではどんな文脈で使うのでしょうか。
私は、支援のツールとして使うのではと思っていましたが、最近は支援付で使ってもいいのかなと思うことがあります。
それは、視覚障害や聴覚障害、肢体不自由などの知的な障害の無い人たちの場合はすごく可能性が広がるので、それこそ一般の人と同じぐらいまたは、それ以上に有効に思います。
しかし、知的な障害のある人の活用の場合は、注意が必要に思います。
つまり、AIが出した答えをより批判的に見られない可能性がある。
これは、鈴木先生の小学生の授業で気をつける言葉を見て思うことです。
ですので、ただ単に与えるだけではなく、一緒に使っていきながら子どもたちと考えていく。
その場合、大人は100%すべてが分かっている必要は無いし、できないけど、子どもたちの伴走者としてAIを一緒に使っていくことが大切で、信頼のおけるサポート役になった方がいいように思います。
学習と生活の主体者は子どもなんだけど、情報活用能力を身につける主体者は子どもと大人とそれぞれなのかなと思います。
それはやはり100%の答えは簡単には出ないから。
AIは生活実感に根ざした答えを出せないので。
そこら辺は今井先生の記号接地の理論から考えます。



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