スイッチを押せるようにという実践でいいのだろうか

この記事は約2分で読めます。

いらすとやで「楽しい」という言葉を検索したらこの絵が出てきました。

 

おかげさまで、いろいろな学校の実践を見せてもらったり、指導案を拝見することがあります。

後期の授業では学生に肢体不自由児向けの指導案なんてのも作らせたりします。

そんな中で、気になる指導目標がありました。

それが表題。

「スイッチを押せるようになる」

というニュアンスのもの

それでいいのだろうかという疑問が。

その昔、福島さんがこんなお話をされていました。

ワープロ(パソコンではありません)を使ってある肢体不自由児に文字が書けるように指導したそうです。

その後、生徒に

 

さあ何でも書けるよ、何を書こうか

 

といったところ、その生徒は

 

何を書けばいいか分からない

と答えたそうです。

つまり、出来ることをしてもそれが何かにつながっていかなければ意味が無いという事。

その後、福島さんは好きな人にラブレターを書く指導をしたそうです。
(ここら辺はニュアンスなので、言葉は変えています)

つまり、具体的な「やりたいこと」を実現するために使うという事。

スイッチを使うことは目的ではなく、方法でしかない。

それを使えることで何が学べるの、何をしたいの、どんな経験ができるのということが必要な事になるはず。

そこがないと。

さて、その上で最初の絵のお話。

「楽しい授業」という本があります。

ここ最近、買ったり買わなかったりなのですが、この前書店で見かけました。

その場で買えば良かったのですが、タイトルに「楽しいだけの授業でいいの」というような記事がありました。

中身を読んでいなかったので、間違えた解釈なのかもしれませんが、私のこれまでの理解だと楽しいだけでいいと思っています。

そして、それは「本質」としての楽しさ。

学ぶことが楽しくなくて学校は成り立つのだろうかということ。

楽しければ次に進めます。

楽しくないとすればそれは自分に必要だと思えないということ。

学校時代だけが学びの場ではないはず。

仕事をしていても何かしら学ばなければならないことも多い。

でも、それが楽しくなければやらないでしょう。

学ぶことの楽しさを知っていればいくらでも次に進める。

私はそんな風に思っています。

ですので、スイッチを押すことで何が楽しいの?

ということに答えられなければ子どもは押さないのではないか。

押せば楽しいことがある。

福島さん流にいうと

 

お得なこと

 

それが生まれるかどうかだと思っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました