先日紹介したこちらの鼎談に登場した乙武さんと成田さんの対談を見ました。
学校って必要・・・?
という、とても興味をそそられるタイトルなのでなぜかYouTubeの誘いにホイホイ乗ってしまいました。
前の動画よりもそれほど過激ではなく、と言うよりもとても真面目に学校教育について語っていました。
優秀と言われる学校が、本当にその効果を発揮しているかどうかは分からない事。
学校の質よりも教員の質の方が子どもの学力を上げるのには効果があることなどをデータを元に成田さんが話していました。
成田さん自身は不登校でほとんど学校に入っていなかったそうですが、それでも学校教育を研究していることが面白いです。
さてタイトルの「学校の役割は2つある」というのは
1つめは
学力をつける場所としての役割
2つめは
コミュニティとしての社会性を養うためのもの
と話されていると私は解釈しました。
そして、これまでの公教育としての学校は予算の関係もあってその2つは同じ場所である必要があった。
しかし、そうなるとうまく学校になじめない子どもがいる。
そうであれば、2つの役割を別の場所で担ってもいいのではという話があり、学校はコミュニティーとして人と接する場所に、学力をつける場所はオンラインなど違う場所で学ぶ方法。
また別の場合は、学校ではそれぞれの能力の違いによって違う学校に通い、コミュニティーとしてオンラインなどの空間やクラブなどの学校外の場所を用意するという考え。
前者はある意味、統合教育だし、後者は分離教育かもしれません。
しかし、どちらにせよ2つの役割である「学力」と「コミュニティ」は必要。
ただし、子どもによっては
逃げることが可能になる
というのは大切だという話だったと思いました。
この「コミュニティ」について考えたときに思いだしたのが「給食」です。
なぜかというと、給食というのは自分でメニューを選べない。
今のように給食のない生活をしていると、自分の好きなものしか食べないようになります。
しかし、給食ではそんな事はない。
どんなものを食べようかなと選べません。
これは,悪い面もあって偏食の強い子どもにとってはとてもつらいし、アレルギーの問題も引き起こす。
その部分は気をつけなければならない。
しかし、自分でメニューを選べないことでこれまで食べたこともない物を食べるチャンスになる。
案外人間って選択できているようで同じものしか食べないです。
私はそうでした。
選択って良いようでいて、危ない面があって幅を狭めてしまうこともあり得る。
新しい経験を拡げるためには、今ある生活だけに留まることはあまりよくない。
学校というのは,そういう意味では自分が好きな人だけ、自分と同じ能力の人だけと付き合っているとそこしか見えなくなっていきます。
自分と違った価値観や考え方、行動をする人に接することはとても意味が大きい。
学校を出てしまえばそうなりますからね。
上記の「学力」と「コミュニティ」が同じになってしまうと、とても狭い世界になるのかもしれません。
まあ自分の結論としては、障害のある子どもを同じ環境においていた方がいいというのは「学力(ここでは学力だけでなく機能訓練や自立活動なども含まれるかな)」だけでなく、「コミュニティ」としていろいろな人と一緒になることが意味があるし、それは障害の無い子どもにとっても重要だと思います。


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