命の価値をお金で評価する

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痛ましい事故がありました。

そして、その事故に対して起こった裁判で障害がある人の将来的な収入は健常者と呼ばれる人よりも低いという司法判断でした。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230227/k10013992771000.html

これには2つの考えがあるのだと思います。

1つは統計的なデータ。

つまり、障害のある人と障害の無い人を比べたときに生涯収入にどの程度差があるという考え。

きっとこの裁判では、それを評価したのでしょう。

しかし、個人の命というものをその収入で判断していいのかは別の問題。

賠償金というのは、もともと上記のその人が得られると考える収入で出すので命の値段ではないのでしょう。

しかし、私たちのこれからの社会を考えたときに、人間があげる生産性はどんどん下がるのではと私は思います。

今ものすごい勢いでAIが人間の能力を凌駕しようとしています。

すると、AIを搭載したロボットは人間を遙かに超える

生産性

を高めています。

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この方が言うように、人間が仕事をし、それによって収入を得るということはもしかすると重要性は低くなるでしょう。

つまり、私たちはお金を得るための労働からもっと別のパラダイムに変わっていくと思います。

 

そうなったときに大切なのは、その人の個性であり、何を楽しみに生きられるかになっていく。

 

そうなったときには、障害はネガティブな要素ではなく、ただ単にその人の属性に変わってくると思います。

 

場合によっては、障害の無い人とは違う豊かさがあるかもしれません。

 

できるということを私たちは重視しますが、できないことの素晴らしさを考えます。

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まあ、そうなったときにお金というものも違った見方をしてもいいのかもしれません。

 

最初の話に戻りますが、でもやっぱりこれは障害に対する差別だと私は思います。

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