日本の学校とアメリカの学校

この記事は約2分で読めます。

昨日の続きです。

日本の教育には課題があるという話はよく聞きます。

画一的であることや、子どもたちの力を伸ばせないということ。

国のナショナルスタンダードとしての学習指導要領や勤勉な国民性から教育の水準は高く保たれているという話も聞きます。

しかし、とびぬけた才能を持った子どもたちがその力を発揮できないという指摘も。

文部科学省もそれを懸念して「特定分野に特異な才能のある児童生徒」なんて言葉で検討したりしていました。

AERAのサイトにはこんな記事もありました。

https://dot.asahi.com/dot/2023061500025.html

先端研がやったROKETプロジェクトについて取り上げています。

 

わたしも、上記のことを否定するものではありません。

一番の問題は子どもたちがのびのびと自分の意見を述べることや、多様性が認められにくい土壌はこれまでの施策の課題だっと思います。

しかし、昨日のアメリカから来た研究員は日本の学校を紹介するたびに

子どもたちが楽しそうにしている

先生の表情が明るい

といいます。

もちろん、そんな学校ばかりではないでしょうか、こちらとしてもいい学校を紹介したいと思うので、そう見えているのかもしれません。

ただし、彼女が言うのは

この前も中学校で銃の乱射事件があった

障害のある子どもはただ単に通常の学級に入れられているだけで、彼らに合わせた教育が十分ではない

ということです。

後者については、印象もあるのでしょうが、教育の方法がコロコロと変わり、教える教員によっての内容に差が大きいことや、高校を卒業しても一定の研修を受ければ短期間に教員になれることなどを指摘していました。

そして最も怖いのは前者のこと。

命の安全性が保障されていないということが学校であっていいのだろうか。

少なくとも日本の学校でそんなことはおきないし(自衛隊ではありましたが)子供が一人で学校に通学できるのは安全面での保障がされているから。

マズローが言う最低限の土台の部分がグラついてしまうことは、その上を構築することを阻む気がします。

そのうえで私たちはどんなことをすればいいのか、答えは簡単ではないけど、あなたはあなたのままでいいよと言えることかなと思っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました