「変わらないといけないのは障害の無いマジョリティ側の私たち」学生の授業でのモヤモヤ

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はじめに

前期の講義で、疑似体験や障害を理解する授業をいくつかやりました。

その中で、学生のレポートの中で

 

障害のある人を理解しないといけないことが分かりました。

というニュアンスのレポートをいくつか見ました。

これを見ながら、どうしてもモヤモヤが晴れません。

 

これは、どうも学生は自分たちは健常者で困らないので良かった。

 

でも、障害のある人を理解して上げようという感じの上から目線を見る気がするからです。

 

でもそうなのでしょうか?

 

彼らは、10年ぐらい前であれば、親の庇護を受けた子どもであり、いろいろなことを助けてもらっていたはず。

 

50年も経てば、高齢者になり、自分たちは支援を受ける立場にいる。

 

つまり、

 

一時的なマジョリティなのかもしれません。

 

そんなことを考えているときに、ラジオ番組でこれを聴きました。

 

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特集「共生社会とインクルーシブ教育の行方~小山田圭吾氏の問題をきかっけに考える」 | TBSラジオ
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1ヶ月前で、聞いた後すぐに記事にしたかったのですが、バタバタとして1ヶ月経ちました。

この中でLITALICOの野口さんが

障害の無い人用に作られてきた社会にいると、障害のある人がどのような不利があるか気づけない

といっていました。

それは

特権とは「自動ドアのようだ」

といっています。

この自動ドアという考えは上智大学の出口さんの言葉だそうです。

差別や人権の問題を「個人の心の持ち方」に負わせすぎなのかもしれない。 「マジョリティの特権を可視化する」イベントレポート

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そして野口さんは

変わらないといけないのは障害の無いマジョリティ側の私たち

だとおっしゃっていました。

そう、私たちはマジョリティであるがために,気がつかない自動ドアをいくつか持っているのだということ。

野口さんがオススメする,出口さんの本を先ほど注文しました。

来年の講義では、この本を参考にさせてもらい、授業で学生にマジョリティとマイノリティについて考えてもらえるといいなと思いました。

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